2009年11月ヒマラヤ・トレッキングの旅

サイババに会いに行くという知人に同行し、初めてインドを訪れました。ビザは、日本にいる間にインド大使館に申請しておきました。今回は初めてで何が起こるかわからなかったので、カメラはコンパクトなデジカメのみを持っていきました。マニラから、シンガポール経由でベンガロール空港に到着すると、何とサイババはそこにはおらず、PUNEというところのアシュラムのオープニングに行かれたという情報が入りました。そこで、われわれ一行は、3時間の仮眠後、PUNEへ飛んでサイババのアシュラムに行き、無事彼の姿を拝むことができました。その後MUMBAYに移り、彼のBHAJANを見学した後、CASEYは単独でヒマラヤに向かいました。デリーに到着後、バスでHARIDWARを経てRISHIKESHへ。8時間かかりました。実はフィリピンを出るときから、咳や鼻水などの風邪の症状に悩まされていて、道中は苦痛だったのです。一泊700ルピー(約1500円)の安宿にとりあえず落ち着き、体調を診ながらヒマラヤトレッキングに行こうかどうか迷っていました。リシケシュの街をぶらぶら歩いていると、誰に聞いてもわからなかったシバの像に導かれたようにたどり着きました。その直後、アユルベーダの薬をたまたま見つけ、具合が少し良くなったので、トレッキングを決意しました。
当初は、GANGOTRIからGAUMUKH、そしてSHIVLING山を望む地点まで行くルートを計画していたのですが、この時期はトレイルが閉鎖されているということで、断念せざるを得ませんでした。そこで、たまたま寄った旅行代理店を通して知ったトレッキングガイドが推奨する別なルートを辿ることになりました。それは、KEDARNATHの南、GOPESHWARから入ってCHAMOLIの近辺、CHOPTAなどの地点を通るルートで、ヒマラヤ山脈が良く見渡せる、比較的楽な道のりでした。風邪の症状があったため、その方が却って良かったのでした。
1日100ドルを払って、車をレンタル、運転手、シェフ、ガイドを雇っての興行となりました。7日間かけて、民家、テント、ローカルホテルに宿泊しながら旅を続けました。最初は咳がひどくて夜眠れなかったため、化学物質は避けている私も、そのときばかりはよほど抗生物質をのもうと思いましたが、ガイドがヒマラヤにしかないハニーとジンジャーを使った薬を作ってくれ、何とかしのぎました。しかし、眼下に拡がるヒマラヤ山脈は、その苦しさを忘れさせてくれるほど見事なものでした。
標高は最高地点で4000メートル弱。テントを張った地点では約2800メートルあり、朝夕の冷え込みは結構厳しいものがありました。数日後には大雪が降りましたので、そこで晴天に恵まれ、キャンプができたのは本当に幸運に恵まれたことでした。
CASEYの守護霊が、ヒマラヤのマスターであることから、今回の旅では、それこそひげの生えた仙人のような人に山奥で会えることを期待していました。ところが、守護霊が会わせたかったのは、今回雇ったトレッキングガイドであったことに、途中で気がつきました。彼はUTTARAKANDというその地域で有名な写真家でもあり、ヒマラヤに精通している最高のガイドだったのです。そして何よりも、ハートで感じるという大事なことを教えてくれたのです。後で聞いた話では、彼は通常は、リシケシュの旅行代理店からは仕事は引き受けないということがわかりました。デリーの旅行代理店の方が報酬が多いので、いつもはデリーの代理店を通じてしかガイドしないのに、そのときはリシケシュの知人の代理店だからということで引き受けたそうです。
守護霊の導きと愛を感じながら、他の国から来た人たちとトレッキングを続け、実によい経験をすることができました。MANDALというところの秘境にある滝に行ったとき、その手前にある寺院で出会ったBABA(修行僧)は、満面に笑みをたたえていて、隣に座らせていただくと、そこには独特の清々しい雰囲気がありました。それは、この旅で忘れられない思い出となりました。
ガンジス河上流の水で身体を洗い清め、すばらしい思い出と共にヒマラヤを後にしました。OM。